2015/06/30(Tue) 17:50

午後五時のカレーライス

18時から打ち合わせ、ということで、うんざりゲッソリしながら品川に着いた。
長引くだろうし、何か食べたほうがいいよな…と思ったけれど、品川に限っては「何か」が何なのかを迷う必要がない。
品川駅の京浜東北線ホームに、名もない立ち食いソバ屋がある。店の名前はわからない。ただ「そば処」とだけ書いてある。
ここのカレーライスが旨い。旨い旨い。
大きな牛肉の塊がゴロンゴロンゴロンと3つほど入っている。山盛りのご飯に、カレー及びライスの残量を正確に把握しつつ綿密な計画を立ててバランスよく食べないと最後は福神漬けライスになってしまうよ、という心配が全くいらないほどたっぷりカレーがかかっている。
品川にいるときに運良くおなかが空いていたら迷わずここに入る。もしこのカレーに満足できなかったら、僕は店主じゃないのでそんな権限はないのだけれど全額返金いたします、と腰に手を当ててややそり気味に宣言したいくらい旨い。そのくらい気に入っている。
次は打ち合わせ終わった後とかにしみじみと味わいたいなあ…。

【2018/12/20追記】
残念ながら、品川駅のホーム変更により、この店はなくなってしまいました。他のホームに移動したか、というとそうでもないようです。残念。
category 4.散文

2016/03/30(Wed) 20:50

母娘とアジフライ定食

ゆうべこのホテルにチェックインしたときに、年老いた母とその娘、といった二人組がいた。母親は少し足が悪いようだった。
僕はエレベーターのドアを押さえ、その二人を待った。先に乗っていた土木作業者さんたちも、特に急かす様子もなく、その二人を待った。
母娘は、すみませんすみませんと言いながらゆっくりと乗り込んできて、エレベーターの一番奥の壁に寄りかかった。母親は少し息を切らしていた。
やがて土木作業者さんたちが降りて、次に僕が降りたのだけれど、その度に母娘はすみませんありがとうと繰り返したのだった。

僕が自分の部屋に入ると、そのあまりの狭さに唖然とした。
決して安い部屋ではないはずなのだけれど、部屋は狭く、窓から光が射し込むこともない。ベッドはただ硬いだけで、テレビはなんだか妙に縦長に映るのだった。
小さな冷蔵庫はスイッチを入れると驚いたようにブウンと唸りはじめ、壁の時計はカチチコチコチとせわしなく不規則な脈を打っている。
こんな部屋に三泊か、と思うと気が滅入ったけれど、それよりも、あの母娘のツインルームはもう少しましな部屋ならいいな、と、そんなことを考えていた。

そんな部屋で一晩を過ごし、一日の仕事を終え、ホテルに戻るともう夕食時だった。
このホテルは、宿泊すればレストランで日替わりの定食かカレーライスが無料で食べられる。
しかしこれはレストランではなく寂れた食堂だ、と僕は思った。それは地下にあり、エレベータを取り囲むように配置されたテーブルは、朝も夜も、天井から吊された白熱電球のみに照らされている。
僕がカレーの食券を食堂のおばちゃんに渡すと、奥のおじちゃんに向かって、カレーだってさ、ととても面倒くさそうに伝える。おじちゃんはこれもまた面倒くさそうにレトルトのパックを引きちぎり、かと思うと少し滑稽なほど慎重に、ライスを盛った皿にカレーを流し込んだのだった。

サラダバーで、こんな小さな皿にどうしたら一日の必要摂取量を満たすだけの野菜を詰め込めるだろう、と悩んでいると、ゆうべの母娘がやってきた。
娘は母親を薄暗い食堂の中でもなるべく明るい席に座らせ、二人分の定食と少しのサラダを運んだ。
母娘はそうして、黙ってアジフライ定食を食べ始めた。何か話していたのかもしれないけれど、少し席の離れた僕には聞こえなかった。

こんなホテルの食堂じゃなく、外でおいしい物を食べればいいのにな、と思ったけれど、母親の足が悪いから歩き回らないでいいように食事付きのホテルを選んだのかもしれない。僕が口を挟むことではないよな、と、僕は目の前のカレーライスをすくった。
でも、せっかくの旅行なのにこんな酷いホテルでこんな定食を食べているのか…と、なんだか急に母娘が可哀想に思えてきた。僕自身も、決して楽ではない仕事をするための出張で、せめて食事くらいは楽しみたいのにと考えれば可哀想だけれど、僕はいい思い出を作る必要はないから可哀想でもいいのだ。

けれど、こんなホテルでも僕が母を連れてきたら喜んでくれたのかな、と思うと、実はいちばん可哀想なのは僕の母なのではないかと気づいた。
後悔しても遅いけれど、年に数回しか実家に帰らなかったら、気づかないうちに母は歩けなくなっていた。車で桜を見に行こうかと誘っても、疲れるから無理だ、と笑っていたのを思い出す。
僕は涙を止めることができずに、鼻をすすりながらカレーライスを掻きこんだ。母娘はゆっくりとアジフライ定食を食べていた。
category 4.散文

2018/10/04(Thu) 19:14

消したい記憶

誰にでも、消したい記憶というものがあるだろう。
それは例えばとても恥ずかしい失敗だったり、例えば誰かを傷つけてしまったり、例えば嫌がらせを受けて不愉快になったりと、理由は様々だけれど。
僕にも、そんな記憶がある。どれか一つだけ消してやる、と言われたら迷わずコレ!と言える記憶だ。

もう15年くらい前になるだろうか。
現在はツマの人になった人と、どこかでキャンプをしていた時のことだ。もう場所は忘れてしまった。
当時の僕らはまだ自分のキャンプスタイルが決まっていなくて、派手な色のイスを持っていったり、イスを持たずにレジャーシートに座ったり、イレクターパイプと風呂のフタで作ったテーブルを持っていったり、といろいろ試行錯誤していたような気がする。今と違って、常に酒が手元にあるということはなかった。

夜も更け、しんみりと時を過ごしていたときだ。
かなり離れたところで、大学生だろうか、10〜15人くらいのグループが突然叫び出した。
それまでは普通に酒を飲み会話を楽しんでいたのだろうけれど、突然、本当に突然、
「パパヒュー、パパヒュー、パパヒューヒュー! 男の中の、お♪と♪こ♪」
と全員が大声で叫びだしたのだ。
なんだなんだなにごとだ、と振り返ると、今度は
「パパヒュー、パパヒュー、パパヒューヒュー! 女の中の、お♪ん♪な♪」
と来た。そしてそれが幾度となく繰り返されるのだ。
遠いから、迷惑というほどのうるささではない。けれど1時間も続くと、だんだんうんざりしてきた。
これはまさか夜中まで続くのだろうか、でも注意しに行って10〜15人に取り囲まれ、寄ってたかって殴られた上に身ぐるみを剥がされ、タープのポールを器用に使ってキリストのように磔にされ、その周りで輪になってパパヒューパパヒューと踊られたらいやだなあ…と思っていると、その騒ぎは何の前触れもなくピタリと収まった。時計を見ると、そのキャンプ場で消灯時刻とされている22時だった。
ふむ最近の若い者は無遠慮無作法傍若無人と思いきやなかなかどうして感心感心…と、僕らはその日は安心して眠ったのだった。

しかし、それから何年経っても耳から消えないのだ。あの「パパヒュー」が。
キチンと区画されていてハイあなたたちはここ!この枠の中!と押し込められるキャンプ場でも、野っ原の適当な所にテントを張るキャンプ場でも、他に誰もいない寂しい林の中でも、水面が静かに揺れる湖畔でも、ツマの人といるときも独りでいるときも、ふとした瞬間に向こうの方から「パパヒュー」が聞こえてくるのだ。はぜた焚火の火の粉がスイと夜空に吸い込まれて行く静かな夜も、驚くほど月が明るくてランタンなどいらないねえという寒い夜も、遠くからパパヒューが聞こえてくるのだ。台無しなのだ。

そんなわけで、僕はこのパパヒューを記憶から消したい。
このパパヒューのせいで僕はグループキャンプが嫌いになり、大きなテントをいくつも並べている一団を見るとつい「彼らもきっとパパヒューなのだ、そして夜が更けると男の中のお♪と♪こ♪と叫ぶのだ…」と眉をひそめてしまう。

薬でも手術でも、なんだったら突発的な事故でもいいから、いつか僕の記憶からパパヒューが消えてくれないだろうかと、切に願っている。

category 4.散文